いるはずだった場所(その1)

夕方から、なすすべもなく、祈り続けている。
イングーシ共和国でチェチェン勢力とロシア軍が激しく交戦し、
夥しい死者が出たもようだ。
http://www.asahi.com/international/update/0926/007.html
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20020927k0000m030052000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/05/20020926i212.htm
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=020926215751X738&genre=int
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/2282603.stm
カフカス・ツェントルとチェチェンプレスによると、
交戦したのはパンキシ渓谷にいたハムザート・ゲラエフ司令官の部隊だ。
http://kavkaz.org/eng/article.php?id=1318
http://www.chechenpress.com/news/09_2002/9_26_09.shtml
http://www.chechenpress.com/news/09_2002/10_26_09.shtml
チェチェン側も多数の死傷者が出たことを認めている。
ハムザートの部隊ということはとりもなおさず、
去年まで私が二年間一緒に生活した仲間たちだということだ。
チェチェンプレスの写真に写っていたのは、
多分私の友人のシャムスとドシュマンだ。
誰が生きていて、誰が生き残っているのだろう。
どうしていいやら分からない。
本来なら、あそこには私がいるはずだった。
チェチェン側に従軍していた英国人ジャーナリストも死亡したそうだ。
去年の7月にパンキシ渓谷に現れ、
従軍を希望したがハムザートに認められず帰国した、
英国のフロントラインというフリーランス組織の記者がいた。
まさか彼ではないか?
実は、10日前にチェチェンでもグルジアでもない某所から、
私にE-mailが届いた。
同じ部隊にいたアフメド(仮名)だった。
アッサラーム アレイコム!
 シャミル、どうしてる?
 調子はどうだ?
 日本は変わりないか?
 知ってるか?
 ハワジはシャヒード(殉教者)になったぞ。
 シャミル、来れるなら、こっちへ来いよ。
 写真と手紙、送れよ。
 じゃあな。
 アッサラーム アレイコム!
 返事を待ってる」
そこで、私は返信した。
「ワアレイコム サラーム!
 そっちはどうだ、アフメド?
 こっちは万事うまくいってるよ。
 チェチェンへジハードへゆかなかったのかい?
 おれもゆきたいよ。
(続く※ハワジの身柄に関しては http://www.asyura.com/2002/war16/msg/546.html