イラクのフラグメンツ

93年にイラク北部に密入国した際、
クルド人組織のPUK(クルド愛国同盟)のメンバーに、
「サダムを打倒するためには、南部シーア派組織との連携が不可欠だ」
と意見したところ、
「シーアと組むくらいならサダムと組む」
という返事だった。
その後イラク北部では、94年にサダムと組んだKDP(クルド民主党)が
PUKを攻撃し、シーア派組織との連携どころかクルド人同士の戦争に発展した。
現在もまた、米国のイラク攻撃に対応して
KDPとPUKが協力するという話は出ているものの、
南部シーア派組織と協力するという話は聞かない。
湾岸戦争以前に、サダムはイラン・イラク戦争を引き起こし、
夥しいシーア派のモスレムを殺害し、
またハラブジャに化学兵器搭載のミサイルを撃ち込んで、
夥しいクルド人市民を殺害した。
クウェートのモスレム殺害は彼の蛮行のほんの一部でしかない。
クルド人にもシーア派にもサダムを排除する理由があり、
意志は一致しているにもかかわらず、両者は組む気がない。
結果、そうした対立を利用しやすいのは、漁夫の立場の米国ということになる。
誰もが、米国のイラク侵略にただ利用されるという事態は
避けたい腹づもりでいながら、なすすべもない。
イラクで戦争が始まるなら、9年振りに懐かしい現地へ向かおうと考えているが、
なにを取材するかということについては、結論が出ていない。