ハワジ報道

ハワジパパが息子への面会のため現地入りしたことで、
ハワジの問題が単純な父子・家族の問題や、
ハワジという青年の個人的な資質の問題に矮小化されることは、
本末転倒だと思います。
ハワジは銃を取った。
それを肯定できない立場の人は多いでしょう。
では、あなたはその代わりに何かしたのか?
日本政府はなにをしてきたのか?
それが問われるべきだと思います。
ハワジは銃を取るという形で、チェチェン戦争に積極的に関わった。
それがもし間違っているとすれば、
なにもしないでいることはそれより賞賛されるのか?
私は日本人のほとんどが、実際知ろうともしてこなかったことを
よく知っています。
日本政府が鈴木宗男の圧力に屈して、チェチェン戦争に関して
ロシアの立場を支持したことを知っています。
パンキシで初めてハワジに会ったとき、
ハワジを受け入れ、共同生活をしていたチェチェンの司令官ワッハに
私は尋ねてみました。
「日本からもっと、ハワジみたいな若者たちが来て欲しいですか?」
ワッハの答えは意外でした。
「要らない。
 信仰心や同じ理想のない人間に来てもらっても困る。
 日本人に欲しいのは、理解だ。
 おれたちがまだ闘っているということを知って欲しい」
チェチェン政府の公式サイト「チェチェンプレス」が、
自らの陣営にハワジがいることを認めた記事の中で、
こんな表現がありました。
「日本人はチェチェン人民の正当な闘いを支持している」
チェチェンプレスというサイトは、実は外国人を
ターゲットにしているというより、
世界に離散したチェチェン人に見てもらうことを主眼においています。
そして、私が知る限り、チェチェンの民衆にとって、一番深い悲しみは、
チェチェン戦争が世界から顧みられないこと、
チェチェン人が「テロリスト」の代名詞のように語られること、
自分たちが世界で孤立して、人知れず滅んでゆこうとしていることです。
チェチェンプレスはさらに、
「(ハワジは)民族の独立と自由を目指すチェチェン民衆の戦いが
孤立したものではないことを身をもって証明したいと心を燃やしている」
と書いています。
私は、ハワジが村のチェチェン難民たちに愛されていたことを知っています。
彼らは近所のトルコでもアラブ諸国でもなく、
遙かな日本からハワジが来てくれたことが嬉しかったのです。