確率の問題

一日引き籠もって、考え事。
ハムザート・ゲラエフはもう、パンキシ渓谷にいないのかなあ?
9ヶ月も経ってから、ようやく分かるようになってきたことがある。
あのとき、コドリ渓谷で、私たちを攻撃したロシア軍の戦闘ヘリコプターには、
当然パイロットが乗り組んでいたわけだが、
彼がどれほど大きな恐怖の中にいたかということだ。

彼の攻撃で、私たちは9人を殺された。
400人中の9人、つまり44人に一人が死んだ。
それに対して、私たちは森の中から、イグラー熱線追尾ロケットで抵抗した。
そして、彼ら5機編隊の一機を撃破した。
つまり、襲ってきた敵のうち、5人に一人が死んだ。
44分の一の確率と5分の一の確率だ。
森に逃げ込んで隠れた私たちと、
鋼鉄の棺桶の中で死を待った彼らのどちらがより恐れただろう。

私たちは、飢えと疲労と恐怖心で恐慌状態に陥っていたけれど、
私たち自身が思っていたよりも、彼らにとって強かった。
戦闘ヘリ・クロコディールが空中で爆発、炎上し、墜ちていったとき、
私は生まれてこの方なかったほどの興奮をおぼえた。
あれほど嬉しかった瞬間はない。

コクピットの中の兵士がどのような驚愕と、恐怖と、絶望感の中で
その一生を終えたか、そしてその直後、
私たちを追撃してきたクロコディールのパイロットたちが、
撃墜された仲間の二の舞になることを想像して、
どれほど恐怖に戦きながら私たちの野営地にロケットを撃ち込んだかを、
今頃になって私は初めて想像してみて、
自分が今まで一度も想像してみなかったことに驚いた。
私だってほとんど似たような気持ちだったのだから、容易に想像がつくはずが、
かくも長く、一度も考えてみようとしなかったのだ。