若松孝二監督

93年といえば、レバノンの内戦は終わったばかりで、
ベイルートの街はまだ廃墟だった。
11月、私はアフガニスタンクルディスタンの旅行を終えて、
ベイルート空港からモスクワ行きのアエロフロートを待っていた。
三ヶ月間、日本人を全然見ない旅行だった。
ところが、待合いホールに日本人が現れた。
知る人ぞ知る、アバンギャルド映画界の巨匠・若松孝二監督だった。(↓)
http://www.imageforum.co.jp/wakamatsu/
http://www.imageforum.co.jp/wakamatsu/wkmt3.html
テレビ朝日の仕事で、バールベックなどを訪れた帰りだそうだ。
監督はアエロフロートの機内で、暖めている映画の構想を話してくれた。

あさま山荘事件」。
連合赤軍の若者たちが、総括という名の内ゲバに陥り、
機動隊に包囲され破局を迎えるまでの、心の軌跡を追ってゆきたい。
しかし、今はまだ時代がほんの少しだけ、早すぎる。
あさま山荘を日本人が直視できるようになるには、
もう少し、もう少しだけ待たなきゃ。

監督はそう語った。

んで・・・今日。
新宿のロフトプラスワンで、若松監督と足立正生監督のトークライブが開かれた。
「私達は連合赤軍に何をみるか」
様々な形で映画化される連合赤軍
革命戦士か? 国民の敵か? あるいは……
http://www.loft-prj.co.jp/

自己紹介して、名刺をお渡ししたけれど、
監督はどうやら私のことは覚えていないみたいだった。
現在上映中の、「突入せよ!あさま山荘事件」の事件の描き方は
よほど悔しかったらしく、しきりにこき下ろしていた。
それで、古くからの同志にして日本赤軍出身の足立監督から、
しきりに「自分の“連赤”つくれよ!」とはっぱを掛けられていた。

9年前からつくりたがっていたのだ。
つくりたくないわけがない。
でも、若松監督ははっきりそういわずに照れ笑いばかりしているのだった。
きっとどうにかして、若松版「あさま山荘」は
近いうちに陽の目を見るのではないかと、私はにらんだね。

監督、その節はモスクワ・シェレメチエヴォ2空港で
ラーメンご馳走してくださって、ありがとうございました。
このご恩は忘れません。