連なりの本性(その2)

私は彼の死に顔を撮らなかった。
撮ろうにも、既にカメラは壊れて動かなかったからだ。
彼には妻も子どももなく、年老いた母親と病気がちの弟が一人、
残されているだけだった。

どうだろう?
あいつが一粒種でも残していれば、私は何年先でもその子に会いに行って、
偉大な聖戦士だった父親の話をしてやれたのに。
しかし、たぶんあいつにとっては、これでよかったのだ。

長男の殉教の報せを受けたアスランベックの母親は、
チェチェンのベジェノ地区の村からパンキシ渓谷へやってきて、
息子の墓に花を手向けた。
遂に最後まで涙を見せなかった。
墓前に立ってダアワを捧げた後、「これでいいのです」といった。
もしも、アスランベックが地上に何かを残していたなら、
母親は何か別なことをいったような気がした。
地上に敢えてなにものも残さなかったアスランベックの信仰心に対して、
母親が全てを認めて旅立った彼を送るためには、
どれほどの愛と信仰が必要だっただろう?

妊婦になったOSは、酒もタバコもやめてしまっていた。
学生時代、酔っぱらって大騒ぎするOSの世話が
私たちの笑い話のネタだったというのに。
教育に環境のいい場所に引っ越そうとか、どこの中学校に入れようかとか、
ずいぶん気の早い話もしているらしい。

焼き肉は美味かった。