神の下の自由な空

モスレムとして、非モスレムに分かるよう、物事を語るのは難しい。
イスラムの教えをもってすればきれいに解決できることを
イスラムの教えを受け入れない人たちに対して、説明しなければならない。

イスラムは究極の自由思想だ。
私たちは神以外のなにものにも支配されない。
神すら存在しない宙ぶらりんの自由空間は、自由落下の状態にも似て、
人は存在の不安と恐怖から自由になれない。
神に守られてある私たちは、神に与えられた自由意志を
完全に行使できるようになる。
国家も、君主も、軍隊も、警察も、資本家も、労働者の団体も、
もはや私たちに指一本触れることができない。

神と私たちの間には、いかなる仲介者もない。
政治家も、大学教授も、文豪も、歴史上の偉人も、
法皇も、司教も、牧師も神父も、イマームも、イスラム法学者も、
私たちの権威とはなり得ない。

チェチェンの戦士たちが「自由を」「自由を」と、
聞き飽きるほど繰り返していることを欧米社会は知らないか、
あるいは勘違いしている。
それを聞いた欧米人の多くは、チェチェン人が欧米型民主主義社会を
建設しようとしているのかと思い込んでいる。
彼らはそれが「自由な社会」だと洗脳されているからだ。
ところがチェチェン人にとって、欧米型社会に抱くものは、
偏見と混沌に支配された暗黒の社会のイメージだ。
彼らにとって「民主主義」はちっとも民主的ではない。
彼らは神の下に自由に生きたいと願い続けている。