恐るべきギャル魂

マドンナという米国の歌手は、911以後の、あの星条旗の海が溢れた状況下で、
「USA!USA!」と叫ぶ数万の熱狂的なオーディエンスを前に、
「いい子ね。世界を変えたいの?
でもそれなら、まず自分が変わらなきゃダメよ(はぁと)」(常岡超訳
と、挑発的に悩ましく、反戦を訴えた。

芸能人という職種の人たちは、人気商売であるが故に、
大衆の反感を買ってしまっては終わりだ。
だから、例えばマライア・キャリーは胸元の大きく開いた軍服に身を包んで、
コソボに展開した米軍を慰問したりしたし(これがホントの従軍慰安婦)、
宇多田ヒカルさんにいたっては、小ブッシュくんが来日した際に、
その傀儡の小泉くんとスリーショットで握手して見せたりしている。
レコード会社や芸能プロダクションの努力もその点に費やされる。

マドンナほどの人物は、自分が業界で生き残るために
大衆の従順な道化として変わってみせるのではなく、
自らが既に確立した不動の地位を頼みに、大衆の上に君臨し、
米国そのものを変えることで、世界を変え、
その世界で自分らしく生きてゆくことを選び、挑戦したのだろう。
他の芸能人にはひっくり返ってもできないだろうが、
マドンナにならできるかも知れないと思わせる。
君臨しながら抵抗する。
おそろしいまでのギャル魂だ。
まさにギャルの中のギャルギャルだ。
私たち煩悩野郎どもは、このようなギャル魂に
正しく萌えなければならない。
私はよく反米主義者と誤解されるが、米国は素晴らしい国だと思っている。
マドンナを育てる環境は、恐らく他の国にはないだろうし、
マドンナがいうように、より優れたものに変わる可能性を
常に残しているからだ。