アタマ砂糖漬けの人たち

難民の悲惨で可哀相な写真はよく売れるし、平和を訴えるネタにうってつけだ。
しかし実際には、難民は必ずしも平和を願ってはいないし、
むしろ血の気が多くて戦争やる気満々だったりする。
いやだなあと思うのは、軍人と市民を別人種のように考えて、
市民というのは無垢なもので、平和を願っているに違いないと考えている、
日本の市民団体の人たちだ。

こういう人たちには二種類あって、うち一つは自分が見たものがいつの間にか
アタマの中のブラックボックスで変換されていて、
闘争意欲満々な人たちを平和モードに勝手に変身させている。
主義主張が先に立つ頭でっかちの市民団体の人たちは大概そうだ。

もう一つは、現地の人たちが自分が思っていたような、憧れていたような、
純粋な人たちでないことが気にくわなくて、
彼らを非難し始めたり、攻撃したりする人たちだ。
この手合いは一番危険だ。
今までの態度を豹変させて、
簡単に人のことを「テロリスト」呼ばわりしかねない。

二つのケースとも、なぜか現地の人たちの民族自決への願いといった
民族主義的な感情には簡単に共感するのに、
イスラムへの強い信仰心に基づく聖戦思想などが出てくると、
見なかったことにするか、
心が荒む原因を戦場での心神喪失帰納してみたりする。

もちろん、こういう市民団体の人たちは、
彼らがいる間は現地の人たちに歓迎されるようすでいたりするが、
帰るや否やブーイングの嵐を浴びている。
当然現地の人たちも、彼らの落とす金以外のものに用はないのだ。