抗う人々
「テロは許せないが、米国の報復攻撃にも反対だ」
と主張している「平和主義者」の方々は、
米国の言い分通り、「テロ」と「米軍事行動」の間に
何らかの客観的な関連性があると信じているのだろうか?
対立する両者双方を批判して、中立を保とうとでもいうのだろうか?
ケンカ両成敗とでもいうように。
事実は、「テロ」と米国が戦っているのではない。
米国はそう主張しており、「テロにも報復にも・・・」という言葉は
米国の嘘に騙されて踊る愚かさを表すまでだ。
「テロ」を行ったのは「アフガニスタン」でも「タリバン」でもない。
米国は「アル・カーイダ」がいるという理由で、
タリバンとアフガニスタンに対して戦争を仕掛けた。
「平和主義者」は、現在抵抗を続けている「タリバン=アル・カーイダ勢力」
の米軍への反撃にも「戦争反対」を叫ぶのか?
彼らが今やっていることは「テロ」の続きだとでもいうのか?
抵抗をやめて、全員素直に殺されよというのか?
抵抗しようとすまいと、実際米軍は敵の全滅を目指している。
彼らは叫べまい。
だから沈黙している。
現実に日本の「平和主義者」は、チェチェンでロシア軍に抵抗している
「イスラム武装勢力」には冷淡だ。
ロシアの支配下で無力化されたイングーシのチェチェン難民には、
支援(といっても精神的な)を惜しまないが、
難民の子どもたちが「イスラム聖戦士になって戦いたい」というと、
「子どもたちが平和を知らずに育つのは問題だ。教育が必要だ」
と眉根をひそめる。
しかし、そんな「平和主義者」の誰よりも、
この子どもたちは平和の意味をよく知っている。
日本の「平和主義者」の皆さんが彼らに教えてあげられる平和なんてない。
「平和主義者」の皆さんの方が、彼らから学ぶべきなのだ。
平和を真剣に希求するからこそ、彼らはいくら勝ち目のない情況下でも、
いくら死ぬのが恐ろしくても、抵抗をやめない。
抵抗をやめても、なんの解決にもならないどころか、
最後の人間性まで奪われてしまい、未来永劫に平和を手にできなくなることを、
彼らはよく知っている。
だから、和平交渉を要求し続けながら、絶望的な抵抗を続けているのだ。
戦わない人たちはいつも、戦う人たちを嘲笑う。
彼らは最前線で死の恐怖に震える米兵やロシア兵よりもさらに
抵抗者たちから遠いところにいる。