綺麗な戦争

確かに、チェチェン人は世界のどのモスレムよりも幸せだ。
彼らは心に疚むことが少ない。
ロシア軍はチェチェン駐留部隊の主流を徴兵の連邦軍から
契約兵のOMON(内務省軍)に切り替えた。
彼らはチェチェンイスラム戦士だけでなく、
女だろうが、子どもだろうが、見境なく手を替え品を替えて殺している。
チェチェン人はロシア軍のいるところへ向けて、
矢でも鉄砲でもぶっ放せば、
無理矢理連れてこられた若い徴兵も一般市民も傷つけることなく、
殺されるべくしてやってきたイスラムの迫害者だけを
間違いなく、思う存分殺すことができる。
彼らは誰に対しても侵略者にならずにいられる。

彼らの中にマフィアや、麻薬中毒者や、ただの盗賊が多数混じっているにしても、
彼らは自分たちの信念を揺らがさずにいることはできる。
多分、それは戦争という状況下では重要なことだ。

パレスチナではそうはいかない。
イスラエルはあまりにも強く、パレスチナ側には勝ち目が全くないので、
軍と対決することはまるでできず、
無差別自爆テロによる殉教作戦で抵抗している。
当然、作戦には敵側の市民も犠牲になる。
それでも、パレスチナ側の女子どもの犠牲がこれほど出ている現状で、
何らかの抵抗を続けざるを得ない。

アフガニスタンにいたっては最悪だ。
彼らはどこにいても侵略者以外の何者でもない。
アフガニスタンから異教徒は大昔に出ていったのだ。
マスード派を殺すのも、タリバンを殺すのも、正義であるはずがなく、
市民の巻き添えをなかったことにしてくれる大義名分も成り立たない。
そして彼らは、異教徒が侵略してくると、
一方は手を貸し、もう一方は闘わずに逃走した。

アブハジアでの戦いは、ハムザート・ゲラエフとチェチェン人にとって、
恐らく初めての、自分たちが侵略者の側に立つ戦争だった。
私たちはただ飢えを満たすだけのために、村を襲い、略奪をはたらいた。
地上戦での敵の犠牲の多くは村人だった。
彼らにとってわずかに救いだったのは、
多数の犠牲者を出した戦闘の相手がアブハジア軍ではなく、
CIS平和維持軍のロシア軍だったことだ。
戦死者たちはなんとかかんとか、どうにかこうにか、
自分のことを殉教者と信じることができたようだった。