ポプコフさんが死んだ

去年2月、寺澤上人とともに来日したロシアの人権活動家
ビクトル・ポプコフさんが死んだ。
55歳だった。
4月18日にチェチェン内の村で狙撃され、重体となっていた。
亡くなったのは一週間も前の6月2日だそうだ。
まったく知らなかった。
チェチェンの村々に医薬品を運ぶ途中でロシア兵に撃たれたそうだ。

チェチェンのロシア兵の横暴はまるで変わらない。
5月29日には国際赤十字の現地スタッフが軍の検問所で兵士に狙撃され、
重傷を負った。
チェチェンというところは、一度出会った人と次に生きて会えるかどうかが、
まことに不確実な土地だ。
つい数ヶ月前に撮った写真を見せて、
「ああ、こいつとこいつは死んだ。こいつは生きてる」
という話をしなければならない。
それにしても、まさかロシア人のポプコフさんの
訃報を聞くことになるなんて――

今のロシアに、チェチェンの戦争に反対している団体はほとんど存在しない。
数少ない例外が、ポプコフさんを代表とする「オメガ」だった。
ロシア正教古儀式派の聖職者でもあり、
ぞろっとした衣装とのび放題の長い髪とひげは「オウム」並のアヤシさだった。
彼はジャーナリストでもあった。
その姿でビデオカメラを携え、チェチェンの村々を巡って
市民の話を聴き取って回り、ジュネーブの国連人権委員会
ストラスブール欧州議会にロシアの無法を訴えていた。
池袋で会ったときも、練馬で会ったときも、
話をしながら、聴衆の反応をビデオに記録し続けているのだった。

彼に出会うまで、私はロシアからイエスの教えは滅び去ったと思い込んでいた。
チェチェンへ向かう兵士を祝福し、神の名のもとに戦いを煽る
ロシア正教会総主教アレクシー二世の映像を
ロシアのテレビニュースで観る度に、
ロシア正教デマゴーグに福音を乗っ取られて久しいのだとばかり信じていた。
そうではなかった。
まだ、生き残りがいた。
しかし、ロシア人は同じロシア人ポプコフさんを殺害し、
母なる大地を血で汚して、わずかな希望を自ら消してしまった。
神さま、最後まで安らぎを求めなかった巡礼者のたましいに
どうかあなたの愛と、安らぎを。