闘う人祈る人

ジュネーブで第57回国連人権委員会が始まった。
私は全く知らなかった。
今月初めから、ここでたった一人、
日本山妙法寺の僧侶・寺澤潤世さんが断食を続けている。
チェチェン戦争の平和的解決と、各宗派の宗教者によるチェチェン平和
ミッションの実行、および難民に対する人道援助を求めて祈っている。

寺澤さんと初めて会ったのは、2000年2月、彼が東京で開かれたチェチェン
支援集会で講演した時だ。
マイクを持って開口一番、「南無〜妙〜法〜蓮〜華〜経!!!!」
と大音声を挙げた時、あまりのカッコ良さに私はしびれてしまった。
次に会ったのは、2000年3月のモスクワ、彼が今度はモスクワ市民を集めて
チェチェン紛争への抗議集会を開いた時だ。
このときは寺澤さんの協力で、チェチェン人の友人が撮影したVTRを
ロシアからストラスブールまで持ち出すことに成功した。
そして私は寺澤さんと親しくお話する機会を得た。

寺澤さんは94年からのチェチェン一次戦争中、
単身・徒歩でジャーナリストも通わぬグロズヌィへ潜入した。
ただ、祈るためである。
わざわざ祈りに来たおかしな僧侶を見て、
チェチェンの戦士たちは呆れかえった。

彼はそれから何度も戦場に祈りに現われ、
96年には密告されてロシア秘密警察FSBに捕らえられた。
チェルノコゾヴォにある強制収容所へ入れられ、
厳しい尋問と拷問を体験した。

私が99年にグロズヌィを訪れた時、
チェチェンの戦士たちは私に「仏教僧か?」と尋ねてきた。
寺澤氏のお陰で「日本人といえば仏教僧」という認識が
できあがっていたのだ。

2000年の8月、私はチェチェンに潜入できないまま、
グルジア山中のチェチェン村で、
部隊の出発をもう4ヶ月も無為に待ち続けていた。
ある夜、皆でロシアの衛星放送を見ていたところ、
ストラスブール欧州委員会のニュースの映像に寺澤氏の姿が映った。
彼はチェチェンでのロシアの残虐行為を告発に来ていたのだった。
ブラウン管を見て涙をこぼした私にチェチェンの友人たちは何事かと尋ねた。
「友人も闘っている」と説明すると、
口々に「アルハムドリッラー(神さまのお陰)」と応じた。

断食は10日間も続けるそうだ。
身体は大丈夫だろうか。

寺澤さん、会いたい。