読書の時間

だらだらと寝たり起きたりしながら、バトルロワイアルの小説を読んでいた。
でも、まだ半分程度だ。
途中でいろいろ語るのもなんだが、
今日は他に何にもしてないので、語ってしまえ。
小説の舞台が大東亜共和国という
日本を北朝鮮にしたような国になっているのに対して
映画での舞台は現代日本だ。
小説の方は、現代日本カリカチュアしようとして
しきれていないような気がする。
それから原作の担任教師坂持についてはやはり良く分からない。
県の教育長と殺人ゲームの優勝者をめぐって
楽しげに賭けをしているのはなんなのだ?
映画版の教師キタノの方が、ダメになっちゃって
自信を失った大人の代表として分かりやすい。
小説は、繰り返しの表現も多いし、文章自体は実際素人くさいのだ。
しかし、やはりプロットの力は恐ろしいほど強い。
最近続けて観た映画がペイ・フォワードなので、
つい並べて考えてしまうのだが、
ペイ・フォワードが一見あっても良さそうに見せて
本質的に大嘘な話なのに対して、
バトロワは一見荒唐無稽だが現実社会のエッセンスを
カリカチュアして盛り込んでいる点が対照的だ。
BR法施行なんて現実には有り得ないはずだけど、
現実の世界にはBR法みたいなもの、
或いはそれ以上に常軌を逸して見えて、
それでいて当たり前でもあるものが溢れている。
というか、「戦争は狂気だ」なんていう人がいるけれど、
戦争は当たり前の人が正気で行うものだし、
とってもありふれている。
中学生がほぼ等しく受験戦争を体験するこの国の制度よりも
更に当たり前のことかもしれない。
人を殺すことを罪深いと思うのは、
実際に殺す現場にいない人が想像することで、
殺し合いの現場では心の痛みなんて快楽にすらすりかわる。
それが正常な人の普通の感覚なんだから、
それを正面から見据えることをタブーにしておいていいんだろうか。
むしろ、悩み、傷つきながら殺し合いに投げ込まれる
バトロワの登場人物は、現実離れさえしてヒューマンだ。
ああ〜、おやじみたいに語ってるなあ。