総括不能

ホームページを立ち上げて一ヶ月が経過した。
Hit数は2480。これは多いのか少ないのか?
TML、ツネスキMLで公開してしまうと
そこからの固定訪問者でHit数が増えてしまう上、
私の普段の発言を良く知っていて
内輪の身贔屓な反響が予想できるため、
敢えて実験期間を設定して、その間は
日記を借りている「さるさる日記」でだけ宣伝を行い、
全く見ず知らずの訪問者の反応を見ようと思った。
もっとも24日早朝の時点で、シュトロハイム=ニヤゾフによって
ツネスキMLにURLが暴露されたから、
正確な初見訪問者数は分からない。

やりたかったことはいっぱいある。

<b>1)相互コミュニケーション</b>

新聞も、ニュースも、インターネットの報道関連サイトも
基本的にマスコミはコミュニケーションといっても
情報の流れは「メディア→市民」の一方通行だ。
むしろ、個人の自己紹介ページでこそ、
情報の流れの双方向性を簡単に実現している。
フリーランスの活動なら、報道でも相互コミュニケーションが
実現できるんじゃないか、と思った。

<b>2)報道の日常化</b>

ニュースでやってるのは別世界の話――
私にだって、そんな風に見える。
ある友人には「別世界の話をありがとう」
なんて、メールまで頂いた。
どうして、現実が現実に見えないんだろう?
どうすれば、現実は現実らしく、
実感持って感じ取れるのだろう?

お世話になっている編集者が嘆いていた。
日本という国がいかに内向きの社会に成り果てているか、
「これでは国際報道の仕事にやり甲斐も感じられない」
とこぼしていた。
確かに、価値のある取材を成功させても、
注目するのは一種のマニアだけだったり・・・・

置き場所の問題ではないだろうか、と思った。
仲間の滑稽な話や、安くて旨い焼き肉屋の話をする場所と
社会問題を話し合う場所は決して同じではない。
よそ行きの真面目な顔をしていなければ、
戦争の話なんてできない。

だとすれば、不謹慎かどうかなんて
無駄なことを考えるのはやめて、
女の子に振られた話と戦場の話を同じ場所で語ることで、
ニュースの見え方は変わってくるのではないか?

今は私自身のサイト運営能力が限界を作っている。
とりあえず、「テスト版」の一行を外すことにしよう。
「テスト版」と「実行版」でなにが違うのか?
そこから考えなくてはならないのだが。