詐欺師

アフガニスタン北部・クンドゥズ州――1999年1月22日、私は一人きりで廃虚を歩いていた。あと数キロで最前線に着くはずだった。1ヶ月前、マスード側から訪れたタハール州とクンドゥズ州の最前線はタリバン支配下に移っていた。同じ戦場をタリバン側から取材してみたかった。どう違うのか。
数時間前、私はハーナバードのタリバン前線司令部を訪ねた。前線取材の許しを得るためだ。
許可は得られなかった。
前線司令官は「クンドゥズへ行って許可証を取ってきなさい」とだけいった。そんなものが取れるはずがない。この地域ではそもそも、タリバンが外国人の立ち入りを禁止している。私がここにいること自体、既にイレギュラーなのだ。
私は「帰ります」とだけいって、司令部を出た。市街地へ戻る振りをして、タリバンの戦士の姿が見えなくなるなり、くびすを返して前線の方角へ向かった。
たちまち、後ろから呼び止められた。タリバンの戦士だ。
「どこへ行く?」
「最前線を取材しに来た。日本のジャーナリストだ」
パスポートを見せながら、聞かれる前に先手を打つ。
「たった今、司令部へ行ってきたところだ」
嘘ではない。取材が認められなかったといわなかっただけだ。戦士は私が持っていたセカンドバッグの中を覗き込み、カメラをみとめるといった。
「申し訳なかった。気をつけて行ってください」
前線への道には所々クレーターが開き、薬莢が転がっている。日干し煉瓦の家はことごとく崩れ去っている。が、やがて、人も家も見えなくなった。地平線まで道が続いているだけだった。
突然、途方もない不安に駆られた。――私は帰れるのだろうか。
ここまで来ることができたことの方が奇跡のように感じていた。ここまでに必要とされた運が、帰り道にも続いてくれるとは思えなかった。これからすれ違うタリバンの中に、私がここにいることの異常さに気づくものが一人でもいれば、私は殺されるだろう。日本への道はあまりにも遠く思えた。到底帰れまい。無性に悲しくなった。
「どうした?」
突然、声を掛けられた。黒いルンギー(ターバン)を巻き、カラシニコフを背負った若者が立っていた。タリバンだ。