命のふち(その2)

荷台の縁に手を掛けたとき、既にかなりのスピードがあった。体のバランスが崩れて、つかまった指に体重をあずけられない。駄目だ。這い上がれない。滑り落ちる。そう思ったとき、ふたつの腕が私の両手首を恐ろしい力で掴み、撮影機材を入れて70キロにはなっていた体重を一瞬のうちにゼロにした。

次の瞬間、私は天地逆になって、トラックの荷台で満員の戦士たちの間に挟まり込んでいた。もがきながら身を起こしてようやく、私の体を引き上げた恩人の顔を見ることができた。ハンサムな映画のヒーローではなく、ひげ面の見知らぬ男がいた。表情はなかった。

トラックの中に誰かの血がべったりとついていた。

戦場があれほど大きな音に満ち満ちた空間だということを私は知らなかった。カラシニコフ自動小銃の銃声は一発で私を一時的な難聴にして、しばらくは耳鳴りが止まない。それが何百発も続けさまにそこいら中に繰り返される。カラシニコフは一番音の小さな部類で、他に迫撃砲RPGロケット砲、BM12式砲、ダシャーカ砲、それにジェット戦闘機から落とされる爆弾の炸裂音と、どれがどれやら分からなくなる。

少年時代から、戦争は世界最大の謎だった。しかし、当時私のイメージの中にあった戦争とは、両親の子供時代の体験から移植されたものだった。空腹であったり、不便な生活に耐えたり、自由を失ったりすることだった。個人の人生をゆっくりといつのまにか変えて行く目に見えない力だった。

しかし、自分の目で見て体験した戦争はそういうものではなかった。あのとき、最後の砲弾があと数メートル私の近くに落ちていたら、破片は私の体を裂いていただろう。戦士の手が汗で少し湿っていたら、私は脱出のトラックに乗れなかっただろう。あの日の戦闘で、マスード派は10人の戦死者を出した。あの瞬間に、私がその中に入っていても不思議はなかった。

戦争とは、戦闘であった。人間の体を引き裂く物理的・直接的な暴力だった。血のぬめり、生臭い肉と脂の匂い、難聴を惹き起こす轟音。そういったものの集まりだった。背後から忍び寄る不安ではなく、真っ正面から襲い掛かる恐怖だった。