論理と非論理

10年以上前の「大仏破壊」のときに、他人の論理能力というのは当てにしてはいけないものだと分かった筈なんだけど、いつまで経っても不思議なのは、ぼくより頭のいい人は大多数なのに、それでもそういう人が倫理構成に失敗してしまうということだ。
結局、自分が倫理を組み立てているのか、それとも宗教やってるのかの判別ができるかできないかの問題なのだろう。ごっちゃにした典型例がオウムであり、あるいは「科学的社会主義」たるマルクス主義だった。
ロジカルな「教義」のない希有な宗教を持つ日本人にとってこの問題は大きい。逆に、ユダヤ人がノーベル賞取りまくるのはそこがうまいせいなのかな?