エリコより帰還

子どもに手を引かれてイスラエル兵の捜索から逃げ回ったり、停電で真っ暗の民家にかくまってもらったり、なんだか楽しい冒険の末、エリコ侵攻の一部始終を見ることができて、昨日エルサレムに帰ってきました。
外国人記者がいないとなるとイスラエル兵はバカボンのおまわりさんみたいにガス弾を撃ちまくります。少々吸い込んでのどの調子がおかしくなりましたが、久しぶりにアクションのある現場を踏むことができて、なんだかホッとしました。イスラエル軍が打ち上げた照明弾の灯りしか光源がなかったので、撮影条件はかなり悪かったのですけど。
イスラエルの最強戦車はなんとか3っていいましたっけ?登場人物もメカもバラエティに富んでいたし。そのくせ自分にほとんどリスクがない状況だったので、なんだか助けてくれているパレスチナ人のみんなに申し訳ないような気がしました。
こんなちょっとした作戦でも、イスラエル兵はダムダム弾を使っていました。病院の負傷した子どもたちのレントゲン写真を見せてもらったところ、瞭然でした。あれは軍にそういう弾薬が装備されているのか、それとも兵士たちがワルノリして勝手に銃弾をナイフで切って改造しているのでしょうか?
作戦に参加した兵士たちがロシア語を喋っているのが聞こえました。ロシア人って不幸せな民族です。チェチェンでもここでも、徴兵されてやらされることは、普通の人たちに銃を向けることばかり。きっと新天地を求めてイスラエルに移住したんだろうに。
作戦が終わって、イスラエル軍がすべて撤退した翌朝になって、海外大手メディアのクルーが入ってきましたが、作戦中を取材していたのは外国人では私一人でした。せっかくだからどこかの雑誌が採用してくれればいいのですが、日本じゃ無理ですかねえ。たぶん刑務所を襲撃して引き上げただけと、報道されていると思うんですけど、自治政府庁舎と一帯の敷地建物が丸ごと
巨大な瓦礫の山に変わってしまったんですけど。

パームホステルに大勢いた欧米人と日本人のバックパッカーの多くは、エリコの事件を受けて昨日と今日で出国してしまいました。