作業の日

正午、某国エージェント氏と駅前で会見。
午後4時過ぎ、岡田一男氏宅へ。
99年にチェチェンで撮影したVTRをお見せする。
深夜零時前、帰宅。
ギャルギャルSMちゃんのプリンタを借りて、夜中に名刺を刷る。
午前4時、作業終了。

長崎のギャルギャルH記者と電話で話した。
経済的に危機的状況にある長崎のローカルメディアは、報道部門全般に
活力を失っており、同時に全国紙やブロック紙の長崎支局を含めて、
報道倫理に関しても嘆かわしい状況だそうだ。

いくつか実例を聞いて、なるほどと思った。
しかし、今になって突然、状況が悪くなったというわけではなく、
私が長崎で働いていたときだって、しょうもない記者はとことん
しょうもなかった。
と、いうより、正常な感覚を保って仕事している記者なんて、
数えるほどしかいなかった。
長崎県警があれほど腐敗していたのに、平然と記者クラブで幹部連中と
懇親し、本部長が目の前にいるのに私の他に質問するものもいない…

それが、東京に出て、国際報道・戦争報道に関わるようになって、
今まで自分がこの業界のほんの一角しか見ていなかったことを知った。
どうしようもないと思っていた長崎の報道業界の水準は、
東京の国際報道に比べればかるかにレベルが高かったのだ。
つまり、東京の国際報道のモラル水準がいかに壊滅的だったか
ということだ。

とりわけ、戦争報道に携わる人たちの姿勢に、注意深さや謙虚さ
というものが微塵もないことに私はほとんど戦慄した。
戦争報道は、一歩間違うと戦争に加担させられることになる。
戦争の当事者は常に、報道機関を効果的に利用しようと試みる。
それは当然のことだ。
しかし、対するメディアには、それに対するなんの警戒心もなく、
当局発表の裏を取るという習慣すら失われて、ただ、垂れ流す現状だ。

ジャーナリズムが戦争を批判し、くい止めた歴史はベトナム戦争
唯一の例外が見られるだけで、その他の場面で、報道は常に戦争を煽り、
加担してきたし、それに対する反省も謝罪もしなかった。