カルチュラル・ギャップ(その1)

起きたのは午後1時頃。
ハニーは11時頃、既に出かけていた。
シャワーを使って、シリアルとかアイスクリームとかの朝食を取って、
それから私は自分が書いたチェチェン関係の記事をティムールに見せた。

初め、ティムールの変化に気付かなかった。
Aちゃんがティムールが涙を流しているのに気付いて、
「どうしたの?」と声を掛けた。
「なんでもない」とティムールはいって、「散歩してくる」と
家を出て行った。

彼が戻ってくると、私は彼に、99年にグロズヌィで撮影したVTRを見せた。
観終わると、ティムールはいった。
「どうしてPLAYBOYに記事を書いたの?」
ようやく私は理解した。
ヌードが掲載されている雑誌に、チェチェンの記事が掲載されたことに、
ティムールはイスラム教徒として憤ったのだ。
「他の雑誌はチェチェンに関心を持たなかったからだよ」
実際のところ、関心を持つ、持たない以前に、日本のメディアの
イスラム感情は非常に偏狭だ。

強い信仰心に対して肯定的な感情を持つメディアは滅多にない。
そういう中で、少なくとも米国の雑誌PLAYBOYは、
米国内にいるイスラム人口との関わりの中で、
異なった宗教を信じる人たちに対する常識的な振る舞いとは
どういうものかを最低限理解できている。
逆にいうと、それ以外の新聞雑誌はほぼことごとく、政治的に右だとか、
左だとかいう以前に、最低限の基礎知識と、わきまえるべき常識に
欠けている。

もっとも、私個人はそれを非難できることだとは思っていない。
日本と朝鮮半島は世界でもっともイスラム教徒人口比率が低く、
判断の材料を与えられてこなかった民族なのだから。
しかし、予備知識もなく、イスラム教徒が普通に理解されるだろうと信じて
来日したティムールには、自分に対して親切な支援者たち自身にも、
イスラムに対してはなんら理解をもっていないことに気付くとき、
戸惑うだろう。

「いずれにせよ」
と、ティムールはいった。
「他のチェチェン人には、その記事を見せない方がいい。
みんなショックを受けるから」
「そうだね。そうするよ」と、私は答えた。

イスラム教徒の側にも、その世界の外に対するさまざまな思い込みがある。
私からすると、1カットのヌードも載っていなくても、
PLAYBOYよりも破廉恥でいやらしく品性下劣な雑誌はゴマンとある。
そういうのを見せ付けられた私には、PLAYBOYのどこが破廉恥なのか、
さっぱり分からない。(その2へ)