ビンビンビンボ〜

戦場で恐い思いをして帰ってくると、
少なくともビンボ〜に対する恐怖はなくなる。
私に関していうと、これは間違いない。
報道記者時代よりもずっと収入が少ないにも拘わらず、
なんの危機感もなくていられるのは、
他のところで危機感を使い果たして帰ってくるからに違いない。

東長崎機関では、互いのビンボ〜をからかい合い、こき下ろし、
笑い合いつつ、恐らく実は自分よりビンボ〜でいられる相手を賞賛している。
それは健全さの証明でもある。

一つの問題として、ビンボ〜はギャルを遠ざけるのではないかという危惧がある。
しかし、ビンボ〜なのにギャルにもてる男こそ、真のギャルもて男なのだ。
そういう男になりたいね。

私をクビにしたアジアプレスは、いつもビンボ〜を恐れ、おののいていた。
ジャーナリストにとってビンボ〜は悪であるかのように考え、
日本経済の零落とともに自分たちの活動が振るわなくなることをいつも心配し、
経済的没落に抗うことに躍起になっていた。
それでいて個々のメンバーは私よりもビンボ〜だった。
しかし、そんなことを気に病むことはないのだ。

ジャーナリストがいい仕事をしようとすると、
多かれ少なかれビンボ〜になる。
世間には、アルバイトをしながら
全く収入にならない地道な取材を何年も積んで、
最終的に優れた仕事を成し遂げるジャーナリストがたまにいる。
それから考えると、私はまだビンボ〜さが足りない。