消える国名

チェチェンで行方不明」、「グルジアで行方不明」と書かれたけど、
私はチェチェンへ行っていないし、グルジアにいたわけでもない。
メディアが私のことを、「チェチェンで死んだのではないか」、
グルジアにいるのではないか」と空想しただけで、
私にはそんな見出しが付いた。

私がいたのは全く別の国で、私が取材したのは全く別の戦争だ。
それは、第二次アブハジア紛争とでも呼ぶべき事件だろう。
チェチェン人はこの戦争で、将棋の駒として使われただけだ。

アブハジアが国家として国際的に承認されていないから
表記されなかったのかというと、チェチェンも立場は同じだし、
東ティモールコソボカシミールも独立国家にはなっていない。
独立を主張している地域でも、
クルディスタン東トルキスタンはその名で表記されないが、
その代わり支配政府の呼称「トルコ南東部」、「新彊ウイグル自治区」が
使われている。
アブハジアは事実上の支配政府ロシアでも元支配政府グルジアでも
アブハジア」と呼ばれているのに、
それが存在していること自体、認めてもらえないとはどういうことだろう。

92年頃、第一次アブハジア紛争が激しかった頃は
日本のメディアも「アブハジア」の名を表記したものだ。

以前、アジアプレスの金武島奈さんが朝日新聞
イリアンジャヤの武器弾薬に困窮している独立派ゲリラの写真を発表したとき、
朝日新聞はこれに「木の銃でも真剣」とふざけた見出しを付けて、
キャプションの中でさえ、「イリアンジャヤ」の地名を表記しなかった。
これは朝日新聞が知的に困窮していることが第一の理由だ。
「そんなマイナーな地名は読者に分かってもらえない」
というのが彼らの主張であろうが、そりゃそうだ。
分かってもらえるような報道を過去にしてこなかったからね。

アブハジア取材からの帰国のトルコ航空機内で半年振りに朝日新聞を読んだとき、
「トラボラを空爆」という見出しを見て私は驚いた。
私がアフガニスタンを取材したときは、「タリバン」という名称すら
使うことを渋った大手テレビ局があったから。