アル・カーイダの葬儀

今日発売の講談社フライデーに、
去年の3月に新宿でお会いした写真家・久保田弘信さんの
アフガニスタンの写真が掲載されている。
カンダハルの病院に立て籠もって戦死したアル・カーイダ
集団葬儀の情景の写真だ。

アル・カーイダの死体に掛けられた白い布が、画面の奥までずらりと並ぶ。
その周囲にカンダハルのごく普通の市民たちが集まり、
手をかざして死者の冥福を神に祈っている。

久保田さんは年末からカンダハルで粘り続け、
抵抗を続けるアル・カーイダを最後まで見守った。

一昨年、アフガニスタンバーミヤン大仏の破壊に世界が注目し、
タリバンにヒステリックな非難の雄叫びを挙げていいた頃、
久保田さんはひとり地道に難民キャンプに通い、
飢えて死に瀕する子どもたちの写真を撮り続けていた。

パキスタン人ジャーナリストのムハンマド・ズベルさんと話して
改めて思ったことだ。
これほど話題の中心となったアフガニスタン戦争だが、
この間、タリバン支配地域を取材したジャーナリストは
ズベルさん以外にほとんどいなかった。
多くがタリバンアル・カーイダの姿を一度も見たこともないまま、
それらを批判する報道を繰り返していた。
米軍などの「大本営発表」の垂れ流しだ。
人間のカスどもだ。
そういうカスどものやり方を、若手のフリーまでが信じ込んで、
タリバン支配地域の取材はできませんよ」
などと見てきたように吹聴する。

久保田さんは今回、タリバン支配地域の取材にこだわった。
米軍が戦争の理由としたのは、タリバン支配地域の事情
(ビン・ラーディン氏を匿っている、テロ支援施設がある、etc)
によるということになっているのだから、
それは取材者として当然なことのはずだ。
しかし実際、最低水準をクリアするジャーナリストは
なぜこれほど少ないのだろう。

久保田さんの被写体に対するまなざしは、
限りなく優しく、哀しい。
ジャーナリストとしての職業意識というよりも、
彼は自分の人間性に従って行動した結果、
意識することなく、ジャーナリストとしても優れた取材が
できているように見える。

私も負けないようにがんばんなきゃ。

久保田さんがネット上に公開している作品集
http://hp.vector.co.jp/authors/VA022257/faireal/Afghanistan/
去年3月、久保田さんに会ったときの日記
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=200103