あほらしいということ

「あほらしい」と感じることが何より苦痛だ。
だから、ウヨクの人たちの感覚がどうしても分からない。
客観的になればなるほど「あほらしい」はずのことを
敢えて主観的に、主観的に考えてゆこうとする姿勢に見える。
あほらしいじゃん。
サヨクでもそういう人たちはいっぱいいるけどさ。
諫早湾で水を撒いてる人たちとか。
そういうところが私は「シラケ世代」の子なのかな?
こればかりは、シラケてて良かった。
もしそんなものがいるのなら、
あほらしくないウヨクのおトモダチが欲しいなあ。
ああ、特定多数にケンカを売っちゃった。
どうでもいいの、もう。
長崎放送時代、「営業ネタ」なんぞで走り回る
自分の仕事のあほらしさに苦痛を感じることが多かった。
アジアプレスにいて、あまりに幼稚な「報道倫理」を聞かされて、
あほらしさに苦痛を感じた。
全然関係ないけど、アフガニスタンの仏像破壊問題も
あほらしくて苦痛だ。
あほらしさから逃げ続けたら、戦場に到達してた。